母と猫。
母は、猫が嫌いだった。
嫌いというよりも憎しみに近い感情を抱いていた。
庭に野良猫が「ミャー」とひと鳴きしたときには、温厚な母が一気に不機嫌になったものだった。
野良猫があかちゃんを生んだときは、わたしにとっては最悪な事態である。
祖母があかちゃんを川に捨て、母が親猫を軽トラックで捨てに行くという、ある意味執念深い行動に出る。
しかし、母が軽トラックで遠くに捨てたはずの猫は、ちゃんと庭に戻ってくるから、すごい本能だとおもう。
気が向けば、母は猫を捨てに行く。
何度でも。
アベルのあかちゃん。
「チビ」の後任で、
母の実家の犬「コロ」から生まれたあかちゃんをもらった。
わたしは「アベル」と名付けた。
メス犬のアベルは、わたしにたくさんのことを教えてくれた。
外で飼っていたため、毎年あかちゃんを生んでくれた。
わたしは、いぬは毎年あかちゃんを生むものだと勘違いをしていたくらいである。
はじめて、アベルがあかちゃんを生んだ日をわたしは忘れない。
あんなに生まれたてがかわいいとは!!
アベルを刺激しない程度に、犬小屋に張りついていたわたし。
次の日も、「あかちゃんをみたい」というおもいで、寝床についた。
翌朝、犬小屋をのぞいてみると、もうあかちゃんの姿がなかった。
アベルの表情もおかしい。
近くにいた祖母に尋ねると、
「袋に入れて、川に捨ててきた」
と、いう残酷な言葉がひょいととんできた。
アベルは、2週間、昼夜問わず、泣き吠えていた。悲しみと憎しみがこめられている声にしか聴こえなかった。
わたしと虫たちの契約
蟻地獄というものは、何時間でもみていられる地獄である。
家に入ってきた虫は、ある意味地獄をみる。
容赦ない摂政が繰り広げられる。
だいたいは、祖母の手によってだが、父も負けずに応戦する。
ある日、わたしは虫たちと契約を交わした。
「家は人間のテリトリーだから入ったら殺される。わたしは1歩外に出たら、あなたたちのテリトリーを壊さない。あなたたちのルールに従う。だから、お互いにルールを守りましょう。」
子どもだからの発想もあるかもしれないが、大人になった今でもそのルールでわたしは地球で過ごしている。
基本、わたしは虫も気にしない。
チビとのこと。
まぁ、祖母は恨みをいだいていたに違いない。
飼っていた雑種の「チビ」というオス犬に、噛みつかれる事件が起きた。
わたしが幼稚園児くらいの頃。
家の外が騒がしいとおもったら、祖母が血まみれになっていた。
急所を狙われたのだ。
大の大人が数人で、チビを追いかけまわしていた。
ほどなく、救急車で運ばれた祖母。
わたしは祖母を心配しながらも、
なぜ噛まれるようなことをわざわざしたのだろう?
と、子どもながらに考えあぐねいた。
そして、チビはあらゆる大人を噛み、保健所行きが決まった。
わたしは、最後まで
チビはじぶんを噛むことはない。
と、確信があった。
チビとの最後の日。
大人の目を盗んで、チビをなでた。
チビはこんなに大丈夫なのに…
とおもいながら。
チビをなでた。
次の日、わたしが帰宅すると、チビはもういなかった。
アニマルとの生活でベースとなっているもの。
アニマルアニマルと言っても
わたしは、たぶん動物愛護ともスタンスが違う。
動物好きとも違うようだ。
東北の田園風景広がる田舎育ちだったわたし、たまこ。
いぬやニワトリ、ぶた、ねこ、鳥は近所にいる環境。
もちろん、虫もたくさんいる。
それが普通の生活。
ただ、普通ではないことがあるとすれば、わたしの家族は動物好きではない。むしろ、何か恨みでもあるのかとおもうくらい動物嫌いな家族。
そのクレイジーな家族と動物とのはざまで、子ども時代を過ごしてきたことが、
今の性格形成に大きな影響をしているのは間違いない。